2007/10/10

上野玄春〜ガンジスへの旅立ち

 
2004年11月8日、玄春さんが旅立った。そして3年目の11月8日が来ようとしている…。玄春さんが蒔いたたくさんの種は今、確実に芽を出し明るい太陽の方向へまっすぐと伸びています。私自身もアーユルヴェーダと言う新たな芽を出しているのです…。
 追悼の意味を込めて、ここに『上野玄春〜ガンジスへの旅立ち』を捧げます。合掌。

 

 2005年1月13日、飛行機は10時間かけてインドのデリーに降り立った。3年振りのインドは相変わらずの喧噪と混沌が渦巻いていた。デリーでいつも泊まるホテルへと片言のヒンディ語で行き先を告げ、プリペイドタクシーのおんぼろ車を走らせる。郊外の静かな場所にある割には安価で泊まれるそのホテルは、老朽化していたが落ち着ける場所だ。運転手はしきりに何か言って来る。だが、ここで強気に出ないと運転手の金儲けの為の、訳の解らないホテルに連れて行かれる恐れがある。半ば強引に「行け!」と言う。
暫くすると、見慣れた景色の通りにさしかかった。確かこの辺りに…あれっ!ホテルが無い!建物は取り壊され、建築中だ。そうか、運転手はその事を言っていたのか。仕方なくニューデリー駅前に広がる安宿街、パハルガンジへと向かう。
案の定運転手は延長分、法外な値段を提示して来た。
「パイサ ナヒンへ(お金無い)!」とありったけ値切る。
でも、無事に着いただけでもありがたい!  北インドの1月はかなり寒い。日本の冬支度のままでも丁度いい。そのくせ建物は、全てが暑い季節に合わせて作られている。床は大理石やコンクリート、壁はレンガをコンクリートで固め、窓はなるべく太陽が入らない様に小さい。もちろん暖房なんて無い。10Rsのチップを渡し、シーツと重いだけで大して暖かくない毛布を頼む。これで何とか寝れる…。  
 
 翌朝ニューデリー駅へチケットを買いに行く。インドの鉄道は全てオンラインで結ばれていて、外国人でもFIXプライスで買う事が出来る。デリーとリシケシは距離にして230Kmほど。車で約8時間、EXPでも5時間近くかかる。 目指すリシケシは友人が住んでいる事もあるが、聖地としてとても落ち着ける場所だ。

窓の景色は街、スラム、サトウキビ畑、何百年も変わらない様な田園風景…全てが混在した景色はインドそのものだ。電車で一緒になったオーストラリア人もリシケシに行くと言う。ハルドワールから彼の手配したアシュラムの車に便乗させてもらえる事になった。こういうささやかな出逢いが旅にぬくもりをくれる。 
 
ガンジス川に吊り橋が架かっている。その橋の名は「ラムジュラ」。
ガンジス川をはさんだ川沿いにいくつものアシュラム(寺)が並ぶ。その小道には露店が連なり仲店通りと言う趣だ。友人のいるアシュラムに入ると、庭にはいつもどうり色んな神々が出迎えてくれる。

友人(このアシュラムでサンスクリットを教えている)はいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。このParmarth Niketan(パルマースニケタン)の宿坊で約1ヶ月滞在する事になる。  
アシュラムの中は平和な空気に包まれ、早朝から夕方まで、ほぼ一日中祈りの声が聴こえる、何とも心地よい場所だ。

今回の旅の目的は、友人で僧侶でヨーガの指導者であり画家でもあった故上野玄春氏の散骨。小さな焼き物に骨の一部を入れ、日本から携えた。  
インドではゆっくりとしか物事は進まない。1日に1つの用事が疲れないと言う事は、何度ものインドの旅で学んだ。かと言って計画も当てにならない。天候やら人の都合やら、暦やらに左右される。だから出来る時が最良の時と思ったほうがいい。
リシケシに着いた翌日から天候が悪く、ほとんどアシュラムで過ごす。

数日後太陽が顔を出した。玄春さんの写真を持って吊り橋を渡りシヴァナンダアシュラムへと向かった。7年ほど前、玄春さんが主催したヨーガのリトリートに、現在教頭になられたヨーガ・スワミ・スワルパナンダjiがゲストとして参加され、共に数日を過ごした思い出があるだけでアポイントメントなど取っていない。縁があれば逢える…ただそれだけ。案内されるまま部屋に入ると、太陽のぬくもりで満たされた部屋には幸運にもヨーガ・スワミ・スワルパナンダjiがいた。



客人との話を中断して、私達を迎えてくれた。変わらぬ笑顔が懐かしい。
玄春さんの為に祈ってくれたお礼、最期の様子、7年前の事…そして散骨のプージャ(祈りの儀式)をしたい事など…。
パルマースニケタンに友人がいる事を話すと「それなら、彼に頼んでプージャをするのが一番いい」…と。あたたかなぬくもりはまさに太陽だった…。  
これで1つ終り。次の事はまた明日考える。
パルマースニケタンに帰り友人にスワルパナンダjiの話を告げると、快くプージャを引き受けてくれた。ガンガーに面するパルマースニケタンのガートでは毎夕ガンガーアラティー(火をガンジスに捧げ、祈るセレモニー)が行われている。
マントラ(真言)を唱え、神々を讃えるうたを歌い、今日一日に感謝すると同時に生きとし生けるもの全ての幸福を祈る、何とも心安らぐ時間だ。
平和と幸福を実感する一時…。
ここにいる限りガンガーアラティーが毎日の日課になる。
 翌朝友人がアシュラムのお坊さんを連れて来た。南インド出身の僧侶は彼が心から信頼出来る一人だと言う。プージャに必要な細々した物のリストを紙に書いてくれた。花、くだもの、お米、香、砂糖、ごま、牛乳、ヨーグルト、蜂蜜…等々18種類の物を揃える。友人に手伝ってもらい買い物に行く。今揃えられなかった物はまた夕方買いに行く。こうして幾つもの店をまわり準備は整った。明日の好天を祈る。

 インドではよく停電する。これは日常の事で珍しくない。今では発電機を備えたホテルやレストランがあるが、停電して真っ暗な中、ろうそくの灯で食事する事もよくある。もちろん作り手も暗い。(インド人は暗闇の中でも物がよく見える特殊な?眼を持っているらしいが…。)
だが、電気に頼った生活は不自由だ。電気が無いとごはんも食べられないし、お湯も沸かなかったりする。でも電気が無くても死ぬ事は無いし、生活も出来る。〜が無ければ駄目!なんて殆ど自分達の欲!それに気付くと言うか、気付かされる。水でも電気でも全て貴重な物を使わせていただいているのだと…。
かといってインドには何でもある。DVD、パソコン、携帯電話…その一方何千年も変わらない悠久さ。このギャップこそがインドそのものなのだ。

 散骨の朝は風の強い曇り空。ガンジスのガートに風を避ける様に供物を並べ、写真や遺骨に花と米を捧げてプージャが始まった。マントラと共に次々と供物が捧げられ、その度にガンジスの水をかけ清められる。ガンジスを渡るヒマラヤからの風が冷たい。丸顔で穏やかな顔の僧侶は裸足だ。かなり寒い思いをしているに違いない…。だが、一つ一つ丁寧に儀式を進めてくれている。やがて全ての物が捧げられ、遺骨はガンジスの流れとともに大いなる宇宙にとけて行った…。


供物の菓子をカラスが食べやすい所に置く。カラスが食べる事で魂も空に帰って行くのだ。また新しい菓子を買いプラサードを皆に食べてもらう。
修行者達にも食事を振るまう。こうして布施する事で執着を無くし浄化する。

 ガンジスの流れは一体どれだけの人々の祈りを受け止め、ヒマラヤからベンガル湾へと注がれるのだろうか。これほどまでに大いなる神聖な河を持つインド人を羨ましいと思った。でも、神々は全ての人の心の中に存在する…それに気付く事が大切なのだと…。

 ガンジスのガートを上がるとパルマースニケタンの子供達が天使の微笑みで待っていてくれた。  
また一つ役割が終った…。



1 件のコメント:

 ami さんのコメント...

玄春さんの散骨と共にばらばらだった星屑がひとつの大きな星座になりましたね。