2017/08/02

深く観る〜丁寧に暮らすということ

「丁寧に」と、子供のころから
よく言われてきました。
でも、
どのようにする事が丁寧なのか
ゆっくり時間をかけてすることなのか
きちんとハジからハジまでくまなくすることなのか…?
何もしなくても、時間は過ぎていきます。

丁寧とはココロを添えて
一つ一つを大切にするということ
こころとともに、今ここを生きること…

今ごろになって、笑
やっと少し解って来ました。
本質を深く観ることができれば
自然と丁寧になるということ。

私たちは意識しないと
いつも物質的なカタチや
感情的な表面だけをとらえて判断してしまいます。
キレイ、キタナイ
フルイ、アタラシイ
イル、イラナイ
ヨイ、ワルイ
タダシイ、マチガッテイル…

消費社会のなかでモノを買い、
まだ使えても、捨ててしまう
お金が無いと生きられない…

私たちが便利に使っている様々なもの
人間や機械が作り出したのではなく
もとはすべて自然。
例えば、
様々にカタチを替えて便利なプラスチック。
すぐに捨ててしまうものばかり。
でも深く観てみると
自然界が長い時間をかけて作ったことがわかります。
「百万年以上の長期間にわたって厚い土砂の堆積層に埋没した生物遺骸は、高温と高圧によって油母 (en:kerogen) という物質に変わり、次いで液体やガスの炭化水素へと変化す
る。これらは岩盤内の隙間を移動し、貯留層と呼ばれる砂岩や石灰岩など多孔質岩石に捕
捉されて、油田を形成する。この由来から、石炭とともに化石燃料とも呼ばれる。」
Wikipediaより

私たちはその歴史的な時間の長さを
便利という暗い眼鏡をかけて
まさに一瞬で使い尽くそうとしています。

様々な有り様をじっくりみてみると
こころの眼を覆っていた暗い色付きメガネは
徐々にハズレて光が差し込み始めます。

怖れていたこころは見間違いと見誤り…
Blind passion盲目の欲望
気づきとともにサットワの眩い光があたり
compassion 慈しみと愛へ
今まで見ていた世界とは違うものが見えて来ます。
とらわれていたのは自分自身。
生きとし生けるすべてが
自らが闇を照らす灯明となります。