2012/10/18

自らの手で紡ぐ幸せ〜ともに生きる

貨幣のない時代、例えば縄文時代の労働時間は、およそ4時間くらいであったと想定されています。
当時は、分業をしながら極めて少ない労働時間で文化的な生活をし、他の時間は歌ったり踊ったり、気楽に暮らしていたようです。江戸時代も本業以外にも食べる手段を持っていました。
そう考えると、毎日朝から晩まであくせく働き、ストレスをかかえる私たちはまるでお金の奴隷と変わらない生活をしている…と言っても過言ではない気がします。
これからの大切なことは、労働をすべてお金に換えないことです。
田畑を耕し手仕事をし、生きる知恵と技を身につけ、コミュニティで支えあえば、1人で無理してやらなくてもいいわけです。
お金がなくても食べて行くことが出来、みんなで支えあえれば、病気や老後の不安もありません。
そんな祈りとともに互いに支えあうアシュラムがインドにはあります。
マハトマ・ガンジーの塩の道行進に、自分の仕事を辞めて参加した多くの人々は、無給、無一文になっても妻子が路頭に迷わず食べて行かれる…そんなガンジーのアシュラムがあったから何の心配もなく行進に参加したのです。
私たちも自分達で食べるものを作り出すことが出来れば、そんなにお金は必要ありません。
そんな互いに支えあうアシュラムを作りたい…と片山佳代子さんのお話を聞いて更につよく思う今日この頃です。

人の価値は、地位で決まるのではなく、その人の生き方で決まります。(M.K.ガンジー) 
・・・国家や共同体内の強者は弱者を守るべきであって、抑圧してはなりません。それができている政府のもとでは、飢餓が生じることはありませんし、有り余る富を貯め込むということもあり得ません。と言いますのも、隣人が悲惨な状態に打ち捨てられているのを目にして、幸福でいられることは決してないからで す。このような高い倫理基準に従っている人は、決して富を蓄えたりしません。道徳的な生き方をしたいなら、このような道徳的理想に従う人はまれであると恐れて、尻込む必要はありません。なぜなら、人は自分が道徳的に振る舞うかどうかは決められても、その結果がどうなるかについては、支配が及ばないからで す。(M.K.ガンジー) 片山佳代子さん「ガンジーの言葉の窓より